■2017/12/29〜2018/1/4は冬休みで沖縄。

■gocoupのシングルは2018年に持ち越し。

■こちらもぜひ。
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■女殺油地獄、再見 5/19


■帯といてー、べべ脱いでー、半蔵商店でございます。

といった意味も含めまして、先週の土曜日は新橋演舞場にて『女殺油地獄』を再見しました。

いい歳して遊んでばかりいる絶賛モラトリアム中の与兵衛が、身勝手な理由で借金頼んで断られて、ニコ生放送中に人殺すという、いやニコ生放送中ではないですけど人を殺すという、何とも理不尽な、それゆえリアルな話です(と、書いてしまいましたが、「理不尽ゆえリアル」だとは必ずしも云えないのではないか)。

両親からお吉を介して渡された銭八百とチマキに涙した与兵衛が、心を入れ替えて真人間となってめでたしめでたし、ご案内は睫敞智子でございました、と、ハッピーエンドで終わらない救いようのなさに人々が惹かれていることが、この演目が今日まで生き残ってる理由なのかもしれない。なんというか、与兵衛は、われわれの心の奥底にある破滅願望と破壊衝動を具現化した、“負”のベクトルのヒーローなのだ。はい、いま適当に書きましたー。(´・∀・`)v イエーイ

そう、この「チマキ」が物哀しい。こどもの日に食べるチマキである。23歳くらいの、いったんは勘当を言い渡した、ものすごい借金を作ってしまった放蕩息子にチマキ。これは、なんだかんだ云って両親にとっては与兵衛はかわいい息子である、ということを表してるのだろうが、当然チマキで借金は返せないし、チマキごときで改心する与兵衛でもない。このチマキの無力さが、両親の与兵衛への思いの伝わらなさを象徴してて物哀しい。こんなにもチマキという単語が頻繁に登場する段落も珍しい。


■愛之助の与兵衛は、遊び好きなところも、虚勢を張るところも、人の好意に甘えるところも、それを踏みにじるところも、それぞれスムーズに演じ分けていて継ぎ目を感じさせない。与兵衛は妹もいるのに末っ子感満載で、家族を相手に暴れるシーンは中学生っぽさすら感じた。笑

福助お吉は、「姐御キャラ」を盛ったりせず、与兵衛より年上の女をフラットに演じていた。つつましやかに演じれば演じるほど、殺される際の悲惨さと理不尽さが際立つ。あまりクセのある人物像にしちゃうと、「いっやー、殺される方にも問題あるんじゃないですかねえ」みたいな感じになるから。

徳兵衛(与兵衛父)よりしっかりしているおさわ(与兵衛母)は秀太郎。銭とチマキを懐から落とした直後、先ほどまでの態度から一転、息子与兵衛のことを慮ってることを素直に認めるところが良かった。

しかし徳兵衛は与兵衛に対して、もっと強気に出るべきじゃないですかね。←よそ様の家庭に何をアドバイスしているんだろう。


■鐘が鳴ってから、与兵衛が犯行に及ぶ決意を固めてからの殺し場。一息に、ではなく、じっくりじっくり殺していく/殺されていく感じが、おれは直視できなかったです(怖がり屋)。刀の鈍い光が視覚的な、三味線の音が聴覚的なアクセントになる。


■おれは初めて見た油地獄が昨年のルテアトル銀座なのですが、その時は与兵衛がロス市警に捕まるところまでやってたんですね。いやロス市警ではないですけど。

でも今回のように殺し場までで終わったほうが、構成としてすっきりするし、劇として余韻もあるね。そもそも、与兵衛が捕まったから溜飲が下がるって芝居でもないからね。







■その他の演目について。

『西郷と豚姫』は、前回見た時も思ったけど、西郷の描写が面白いものではない。基本、豪放磊落な西郷どん、という世間一般に流通しているステレオタイプなぞるだけだもん。でもフィクション(ジャンルは問わない)に登場する幕末の人物って、どうしてもそうなりがちだから、これは獅童個人のせいでもない。

「あれ、シドーって意外に西郷どんみたいな役も似合うね?」というボーナスポイントでなんとか退屈を回避できたかんじ。

『紅葉狩』は、やはり種太郎の踊りに尽きますね。


■そして歌舞伎見物から帰ったところ、鹿児島の友人から、タイムリーにも『西郷せんべい』が届いてました。ありがとう。