■三月大歌舞伎 新橋演舞場 夜の部 3/3 |
■平成22年3月8日の午後6時00分に歌舞伎座で歌舞伎を見始めてから、ほぼ丸2年が経ちました。ふむ。
2年かー。「長いような短いような」、と表現したくなるのにぴったりのサイズですね。2年て。
では、先週の新橋演舞場、夜の部の感想を。
■佐倉義民伝
一昨年のコクーンで見た演目。普通の歌舞伎で見るのは、これが初めて。コクーンのあれは、笹野高史と子役の演技力だけで保(も)ってたような芝居だったなあ、とか、誕生から三十年あまりを経てラップやヒップホップも徐々に伝統芸能化(良いでも悪いでもないニュートラルな表現です)してたりするのかなあ、とか、最後のラップは台無しだなあ、とか、いろいろ思うところあった歌舞伎でした。
そのコクーンのに比べると、すっと素直に見られた。もっと暗い感じの舞台になるのかと思ったけど、そうではなかった。ただ、コクーン版と比べると、あっさりしすぎる短縮版、のようにも感じられた。
お偉いさんが、訴状の封筒だけ捨てて、訴状本体を懐に入れるところ良いよね。子役の演技もまた全米を泣かせる。父親(宗吾)にすがりつくも振り払われるところとか。
■唐相撲
YMOのファーストとセカンドのような、「日本と中華人民共和国をわざとごっちゃにした、間違ったオリエンタル感」の原型(そうですかね)。
チラシやポスターに載ってた、「日本人 菊五郎」という大ざっぱな役名のクレジットが気になってた演目です。
歌舞伎としてはあんまり上演されてない演目である(もとは狂言)、という事実を差し引いても、「珍しいものを見たなー」という気分がたっぷり味わえます。
左團次は、セリフ中に「きゃりーぱみゅぱみゅ」って単語を入れると一定の年齢層にはうけるのではないか。
■小さん金五郎
最近は、こういう上方っぽいのも好きです。
ただ、最後の石段のシーンが風情に欠ける、というか…。せっかくのいいとこなのに、せっかくの役者の演技がいまいち映えないというか。舞台上で醸し出されるカブキ成分のあれやこれやが、客席までなだれ込んでこないのですね。客席と舞台が分断されているというか。この感じ、昨年も新橋演舞場で何回か感じたのですけれども。
で、例によってまた同じ話になるんだけど、この原因はやはり「新橋演舞場は歌舞伎座ではない」というところにあるのではないかと思う。劇場の持つ独特な風情に欠けるというか。いや、平成22年3月8日の午後6時00分からしか歌舞伎を見てないにわかファンの小坊主が何を云うか、とおっしゃるかもしれないけどさ。
話はいささか飛躍しますが、新しい歌舞伎座が、色気も怪しさもない、清潔で便利で立派なだけのつまんない劇場になってしまわないよう祈るばかりです。って、前も似たこと書きましたが、これからも書くと思います。