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■一蘭? (゚д゚)


一蘭

ものすごく久しぶりに、一蘭へ行ってきた。ちなみに渋谷店。

このラーメン店は、福岡発祥なので、麺のお代わり「替え玉」ができる。あと、味も自分の好みに合わせて細かく調整できる(注文の直前にオーダー用紙を渡されるので、それにいろいろ書き込むのです)。


おれは学生時代は福岡にいたので、この店には何回か行ったことはあるし、東京に来てからも足を運んでいるんだけども、この一蘭に行って、満足して帰ってきた試しがあまり無い。

一蘭のどこに満足できないかというと、たとえばまず、その量の少なさからくるコストパフォーマンスの悪さで、本格的に腹の虫をおさめようとすると、千円ぐらいになってしまう。

そのため、とくにラーメン大好きってわけでもないおれは、「他の料理を食べれば良かったかなー」と、高い確率で反省することになる。

今日も、どうせあとから後悔することになるんだなー。と思いながら一蘭に行ってきた。

(゚д゚)<じゃあ最初から行くんじゃねえよ! なんでわざわざ行くんだ?

おっしゃる通りなんですけどね。その理由はまたあとで。


今日は「薄味」「こってり度なし」で発注したのがまずかったのか、「たれ1/2倍」にとどめていたにもかかわらず、スープの味が唐辛子に完全に負けているラーメンが出てきた。やたら唐辛子の味が舌に付く。

そんなスープで、3回も替え玉を頼んだ。つまり、トータルで4玉も麺を食ったってことですね。

(゚д゚)<文句付けてるくせに、4玉も食ってるんじゃねえよ!

いや、聞いてください。うまいから4玉も食ったわけでもない(もちろんまずいわけでもない。まずかったら4玉は食えない)。

じゃあ、なぜおれは4玉も食ったか。


たいていの場合、食事の終わりにはなにがしかの達成感というか満足感というものが得られる。

たとえば昨日は、おれはすき家でチーズカレー(並盛り)を頼んだ。並盛りという量にもかかわらず、食べた後には
「あー、食べ終わったー。(´∀`)」
という満足感がちゃんとあった。たいていの食事は、このように胃だけではなく精神的にも満たされるもんである(もちろん外食に限りません。食事全般に云えることです)。


しかし、一蘭のラーメンには、その満足感が食べても食べてもやって来ない。なんか、胃袋にただ延々と麺を投入しているだけ、という不毛な作業をやっている感じがする。

満足感が得られないので「あれ? 量が足りなかったのかな?」と、替え玉を発注して食う。しかしそれでも満足感がやってこない。そのため替え玉を発注して食う。しかしそれでも――と、このループで、4玉も食ってしまいました。


では、なぜ満足感が得られなかったか、と考えたのですが、これは、一蘭独自の「店員&他の客の顔が一切見えないシステム」に原因があると思う。やはり、あれはヒトが食事する場所として不自然だと思う。

その不自然さが、「食事をし終わった気」にさせてくれないので、満足感が得られないのではないか――と考えたんですが、どうでしょう。


だって、店員は顔を見せず、ノレンの向こうからニュッと手首を出すだけだし(天才バカボンの「手首だけ家族」のエピソード思い出すなあ。実際には見たこと無いけど)、他の客の様子も一切うかがえないし。

「自分以外のヒトがいるのに、いないという設定になってる感」が妙だ。よく考えると。


で、なぜそんな一蘭に懲りずに行くか、というと。

一蘭は、なまじ自分で量や味を調節できるぶん、「前回は負けたけど、今回は味と量をちょっと変えて挑戦してみよう。そして、前回の負けを取り戻そう」と、変に逆転を狙ってしまうの心理が働いてしまうのではないか、と。そして負け続ける、と。

(といっても、年に2回くらいしか行かないですが。)

(といっても、もう行かないですが。)

(といっても、半年くらいしたらまた行くかもしれませんが。)


■かくして、おれは1300円(ラーメン+ネギ+替玉×3)を投じて、たいして面白みのない食事をし、重くなった胃を抱えて次の用事がある新宿へと向かったのでした。

どうせ新宿行くなら、どうせ1300円も払うなら、「すずや」のとんかつ茶漬けでも食べればよかったな…ぶつぶつ…。


■食べ物の話になると、しつこくてすみません。最後まで読んでくれた人は偉い。たぶん出世すると思います。