■午前十一時のそば屋で晩酌 |
■春と初夏の間の季節。昨日の土曜は、てくてくと早朝ウォーキングをして、そば屋に入り、午前十一時から晩酌をしておりました。
そば屋と云っても、高級な店でなく、妙に作為的な小ぎれいさが支配する現代風の店でもなく、ただただ普通の町のそば屋。年季が入っている。わざとらしさがない。強いて云うなら、若干「大衆食堂」の感がある。テーブル席に座る。
天ざるを食べよう、と思っていたのだけれど、写真入りランチメニューに載っていた特盛ねぎせいろ、なるメニューが美味しそうだったので、それを発注。ぬる燗も発注。メニューには「日本酒」としか書かれてない。わざとらしく地方の銘酒を並べてたりしないのがうれしい。
数分後、ぬる燗が出てくる。容れ物も、せこいトックリなんかじゃなく、菊正宗の瓶。あの180ml瓶。はい百点。
おちょこを傾ける。英の国の熊畜生パディントンが「お十一時(elevenses)」の茶菓をたしなむ時間帯に晩酌。どうもすいません、とどこかの誰かになんとなく謝りたくなる。
その数分後、特盛ねぎせいろがやってくる。濃いめの熱いつけ汁に、冷たい蕎麦をつけて食べる。つけ汁の中には、ちっちゃめのかきあげとネギが乗っている。うむ。ずるずるずると無心に食べ進める。ぬる燗も飲む。ずるずるずる。ぬる燗。ずるずるずる。ぬる燗。ずるずるずる。そのくり返し。
食べているうちに、幸福感とか充実感とかのようなものが湧きはじめる。しかし、この人生においては味わわなくていい種類の幸福感あるいは充実感というのもあるのではないか。そういうのに振り回されていていいのだろうか。そもそも午前十一時から晩酌なんてしてていいのか。なにをやってるんだおれは。同世代の人間はもっと真面目に生きてるのではないか──そば食ってるときに、そんなこと考えなくていいか。
■そばを食べ終える。つけ汁にそば湯を注いで飲む。菊正宗とわさびがちょっと余った。わさびをなめながら、菊正宗を飲む。勘定を済ませて店を出る。この時点で十一時三十五分。まだキユーピー3分クッキングの放送も始まらない時間。
晩酌を終えてもまだ十二時間も今日という日が残ってる。これがうれしい。午后もてくてくとウォーキングして、この日はけっきょく四万歩あるきました。
しかしこの土曜の東京市内は暑くて、昼間は着物だと完全に単衣の気温でしたね。
そば屋と云っても、高級な店でなく、妙に作為的な小ぎれいさが支配する現代風の店でもなく、ただただ普通の町のそば屋。年季が入っている。わざとらしさがない。強いて云うなら、若干「大衆食堂」の感がある。テーブル席に座る。
天ざるを食べよう、と思っていたのだけれど、写真入りランチメニューに載っていた特盛ねぎせいろ、なるメニューが美味しそうだったので、それを発注。ぬる燗も発注。メニューには「日本酒」としか書かれてない。わざとらしく地方の銘酒を並べてたりしないのがうれしい。
数分後、ぬる燗が出てくる。容れ物も、せこいトックリなんかじゃなく、菊正宗の瓶。あの180ml瓶。はい百点。
おちょこを傾ける。英の国の熊畜生パディントンが「お十一時(elevenses)」の茶菓をたしなむ時間帯に晩酌。どうもすいません、とどこかの誰かになんとなく謝りたくなる。
その数分後、特盛ねぎせいろがやってくる。濃いめの熱いつけ汁に、冷たい蕎麦をつけて食べる。つけ汁の中には、ちっちゃめのかきあげとネギが乗っている。うむ。ずるずるずると無心に食べ進める。ぬる燗も飲む。ずるずるずる。ぬる燗。ずるずるずる。ぬる燗。ずるずるずる。そのくり返し。
食べているうちに、幸福感とか充実感とかのようなものが湧きはじめる。しかし、この人生においては味わわなくていい種類の幸福感あるいは充実感というのもあるのではないか。そういうのに振り回されていていいのだろうか。そもそも午前十一時から晩酌なんてしてていいのか。なにをやってるんだおれは。同世代の人間はもっと真面目に生きてるのではないか──そば食ってるときに、そんなこと考えなくていいか。
■そばを食べ終える。つけ汁にそば湯を注いで飲む。菊正宗とわさびがちょっと余った。わさびをなめながら、菊正宗を飲む。勘定を済ませて店を出る。この時点で十一時三十五分。まだキユーピー3分クッキングの放送も始まらない時間。
晩酌を終えてもまだ十二時間も今日という日が残ってる。これがうれしい。午后もてくてくとウォーキングして、この日はけっきょく四万歩あるきました。
しかしこの土曜の東京市内は暑くて、昼間は着物だと完全に単衣の気温でしたね。